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センター試験

センター試験について覚えていること、点数はどの教科も覚えてない。1番最初の科目が世界史だったことと、リスニングの時間がとても眠かったことは覚えている。世界史の試験が始まった時に緊張して頭がうまく回らなかったことだけは強烈に覚えてる。でも結局世界史の点数が1番良かった気がするけどね。最初の科目が得意科目の世界史で、しかも暗記科目だから頭なんて使わなくてもオッケーだったのでラッキーだったのかもしれない。帰ってから2chセンター試験スレをずっと見ていたけれど、あんまり意味はなかったしむしろ精神衛生に良くなかったのであれは辞めた方が良かった。

 通っていた高校は進学校でもなく、私の友人にはガチで受験に挑んでいる人もほぼ居なかったし、受験直前もピリピリした雰囲気はクラスには無かった。進学校とはどんなものなんだろうかとたまに思う。みんなが頭が良くてみんながライバルなんだろうか、でもそんな殺伐とした雰囲気って二流三流の進学校のもので、超一流はもっと自由でゆったりとしてそうでもある。

 

君の見えないファボを探して

最近生きるのが随分楽になったと思う、何をするにも面白なくていいことに気づいたから。楽しくなきゃいけない意味のあることを言わなきゃいけないと思っていた。つまらなくてしょうもなくて何の意味もないやりとりを愛していてもいいことに気づいた。ツイッターで他人のお気に入りの欄を眺めるのが好きだ。注視しているものが文字になって現れる、わかりやすくて好き。だって現実の世界じゃ他人が何に注意を向けているのかわからないから。でも鍵垢へのファボは見えない。ツイッターでも現実でも君の見えないファボを探している。いつだってわたしはそうだったのだけれど、馬鹿みたいな薄っぺらいやりとりをひたすら積み重ねて相手の何かを分かったような気になって、そうしてずっとふざけ合っていたい。君の見えないファボを探して、君のお気に入り欄のわたしのツイートを見つめながら。

大丈夫な日の私だけみつめてよ

タイトルは私の愛する大森靖子ちゃんの「ミッドナイト清純異性交遊」の歌詞から。現実じゃ男友達なんていないし、そんなに仲良くしたいとも思わないのに、SNSじゃどうしても男の人と仲良くなりがちだ。現実世界では女の子と仲良くなる方が楽なのに、どうしてネットだと逆になってしまうんだろう。

 “大丈夫な日の私だけみつめてよ”というこのフレーズは、初めて聞いた時からなんだか不思議にどうしてそう思うのかがわかったような気がした。私には大丈夫じゃない時が沢山あるし、大丈夫な時でも簡単にほんの些細なきっかけで大丈夫じゃなくなってしまう。大丈夫な日は他人に優しくできる、笑顔でいられる、そういう日の私だけを見せたい。“ダメな私を受け入れて”よりずっと良い。そういう維持を張っていたいのは女の子相手であることが多い。同性を相手にした時の方がカッコよくありたいと強く思う。異性に好かれるより、同性に好かれた方がある意味では嬉しいし期待に応えたいと思う。だって、異性よりも純粋に私を見てくれているような気がするから。

読むことと書くこと

ブログがというか、文章が、上手く書けない。ので、特に意味のないことを長々と小手先で書いてしまえるような能力であっても、とても羨ましい。他の人よりも本を読む子だったので、何かを書ける人には憧れていたのに、自分には上手くできないというコンプレックスがずっとある。

  金原瑞人さんのエッセイを最近読んだ。彼のことは、図書館の海外の本によく名前が載ってる翻訳者だという認識しかなかった。私が小学生の時に特に気に入って何度も読んでいたファンタジーのレイチェルシリーズも彼が翻訳していたので名前はよく覚えていた。 最近、金原ひとみさんの父親で大学で働いていて日本のYAジャンルの立役者だということ、エッセイを出していることを知った。エッセイ本のタイトルが「翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった」という何だかとても面白そうなものだったので気になっていた。それをついこないだ読んだのだ。結果、面白かった。本人のチャーミングな性格が文章から伝わってきた。その本の中に“言葉の力を実感したければ、実感できるまで読んで書く、書いて読む、それしかないと、投げやりな言葉で、とりあえず、〆”という一節があった。これを読んで、私も書けばわかることあるのかなと思って今、ブログを書いている。私は今まで自分の読んだ本や、経験して感じたことを文章という形で出力してこなかったし、私なんかの下手なアウトプットに何の意味があるのかと思っていた。でも今、部屋に並ぶ本の数々を見て、人生の中で経験した様々なことに想いを馳せると、このまま自分が死んでしまうのは寂しいと思ってしまう。ツイッターで呟くのは、ただ思いついたことを何の繋がりもなく垂れ流しているだけなので、何かが違う。

 頑張って、ブログもうちょと書いていこうかなあ。

岩井俊二監督

 サブカルな感じの人が好きな監督でしょ?邦画なんて滅多にみないんだけどたまにはいいかななんて思って岩井俊二監督の「花とアリス」をGEOで手に取りました、そして好きになってしまいました。偏見は良くないですね!

 「神は細部に宿る」という言葉が私にはしっくりくるのだということを岩井監督の映画を見ていて気づきました。些細な仕草やセリフ、表情やエピソードがその人の全てを、その映画の全てを物語っているかのような直感が岩井監督の映画を見ていると、降ってくるような気がします。

 最新作の「リップヴァンウィンクルの花嫁」も良いのだけれど初期の「love letter」が図書室ラブストーリーで、耳すまに憧れて育った私にはグッと来ました。「love letter」は本当に細やかなエピソードの断片が、死んでしまった藤井樹という人物を鮮やかに浮かび上がらせていて、見ていると私も藤井樹に恋をしているような気分になりました。ヒロインが、彼を何故愛したのかが、わかってしまうんですね。この映画は1995年公開で、これくらいの時期の日本の映画やドラマを見るとそれだけでノスタルジー感じるのでちょっとズルいですよね。

紙の本と心中するつもりだった

 紙の本と心中するつもりだったけれど、友人にKindleを勧められて、その気になって買ってしまった。小説と漫画はどうしてもというもの以外はKindleで買ってしまおうと思う。購入してから1週間ほど経ったけれど小説と漫画を読む時間がとても増えた。というか以前はほとんど読んでなかった。Kindleの読み放題サービスにとりあえず入ってみたけれどこれは結構良いと思う。タダだから読んでみようかなと普段読まないものにも手が出せて意外な発見がある。このサービスで「きまぐれオレンジロード」と「青い花」を全巻読んでみた。「きまぐれオレンジロード」の方は確か西尾維新が好きだったよなと思って気になって読んでみたけれど何だかちょっと物語シリーズに似ていた。わりと楽しかったけれどラブコメはやはり苦手だなぁ。「青い花」は志村貴子の女子高百合漫画なのだけれどこれは気に入った。志村貴子はあっさりとした絵柄で生活感のある恋愛を描く、しかも百合にBLに幽霊話と引き出しが多いので読み放題サービスに入ってない他の作品も読みたいなぁと思う。でも、人の心の動きを丁寧に描写するのにトイレの流す音の擬音がめっちゃ大きかったりするのでちょっとびっくりする。

 纏まった話がしたいわけでも無いのにブログを書こうとするとツイートの寄せ集めみたいにしかならないもんだなぁ……。

もうすぐ絶滅する(?)という紙の書物について

 サラリーマンになってから早くも半年が経過した。行きの電車は超満員で、帰りの電車は疲労で、とてもじゃないが通勤時間に本なんて読めない。それでも毎日通勤カバンの中に最低一冊は本を忍ばせている。

 私は電子媒体で文字を読むことが苦手で電子書籍用のタブレットも買う予定は全くない。しかし、一体紙の本の何に拘っているのか自分でも分からなかったりする。紙であることに拘っているのか、その重さに拘っているのか……旅行先でもつい紙の本を買って荷物を重くしてしまう。

 ふと思いついたけれど、私がカバンの中にいつでも紙の本を入れているのはお守りをつけている感覚に近いかもしれない。お守りは電子化されないものだと思う。神社でバーコードを読み取って電子お守りを購入!なんて未来は想像しにくい。案外電子お守りはすぐに登場するのかもしれないけれど私はやっぱりそんなものは欲しくないと思うのだろう。