原宿に馴染めない冴えない私

 数年ほど前に、人混みが歩けない時期があった。

軽度の拒食症になり他人からの視線が怖かった。そして、他人に対して、街ですれちがうだけの人に対しても異常なほどに関心を持っていた。群衆の1人1人にも家族がいて人生があるということが恐ろしくて人混みが歩けなくなっていたのだ。 

 一年半ほど前から嘔吐することもなくなり、その代わり体重が一番痩せていた時期より10キロは増えた。今でも、大槍葦人が描く美少女のような体型に憧れてはいる。けれど、どこかで諦めてしまったのは元から顔の造りが美少女では無かったからかもしれない。

 拒食症から抜け出した本当の理由は(さっきのは半分冗談です、自分の顔がかわいいと思ってなかったら最初から拒食症なんかなんないもんね。)ボードリヤールの「消費社会の神話と構造」を読んだことがきっかけだったように思う。ほっそりとした身体と消費社会の共犯関係について書かれた個所を読んで、何もかもが何だか馬鹿馬鹿しいことのように思えて気が楽になった。そんな風に自分のよくわからない感情を正確に言葉にして説明してくれる本は私にって具体的な救いとなった。(文系の学問だってちゃんと役にたってるのよ!)

 今さっき消費社会は馬鹿馬鹿しいと書いたばかりだけど、モノがあふれた東京の街をどうしようもなく愛しているのも確かだったりする。クリスマスシーズンの銀座のショーウィンドウの輝きを見るとどうしても胸がドキドキする。次々に店もトレンドも変わっていく原宿の街も愛している。そんな素敵な街に不似合いな冴えない外見の私が許せなかったから拒食症になったのかもしれない。

冴えないままの自分を受け入れて、原宿の街を歩きながら、そんなことを考えた。